中国国営新華社通信は12日、朱鎔基元首相が同日午前11時6分、病気のため北京で死去したと報じた。98歳だった。中国共産党中央委員会、全国人民代表大会常務委員会、国務院、中国人民政治協商会議全国委員会が連名で訃告を発表した。
朱鎔基元首相が98歳で死去
公式訃告は朱氏を「傑出した政治家、党と国家の卓越した指導者」と評価した。朱氏は1928年10月、湖南省長沙市に生まれ、清華大学電機学科を卒業した。1949年に中国共産党へ入党し、国家計画委員会などで経済政策に携わった。
1958年の反右派闘争で右派とされ、文化大革命期には湖北省の「五七幹部学校」に送られて労働に従事した。中国が改革開放路線へ転換した後に名誉を回復し、国家経済委員会などで要職を歴任した。
1987年から1991年まで上海市党委員会副書記、市長、市党委員会書記を務めた。上海では行政機構と住宅制度の改革を進め、浦東新区の開発を本格化させたほか、上海証券取引所の開設にも関わった。
朱鎔基氏が中国の財政・金融改革を推進
朱氏は1991年に国務院副首相へ昇格し、1993年から1995年まで中国人民銀行総裁を兼任した。当時は投資の急増に伴う景気過熱と物価上昇が深刻化していた。
朱氏は金融引き締めや財政規律の強化、企業間債務の整理を進め、経済を急激な後退に陥らせずにインフレを抑える「軟着陸」の実現に取り組んだ。1998年3月には国務院首相に就任し、2003年3月まで1期5年務めた。
代表的な政策となった分税制改革では、中央政府と地方政府の税収配分を見直し、中央政府の財政基盤を強化した。金融分野でも中央銀行の機能を整備し、商業銀行、外国為替制度、証券・先物市場の改革を進めた。
朱鎔基氏が国有企業改革と住宅制度改革を主導
朱氏は国有企業改革で、大企業を重点的に維持・再編する一方、小規模企業の民営化や整理を進める「抓大放小」の方針を採用した。政府と企業の役割を分離し、株式会社制度など近代的な企業制度の導入を促した。
改革に伴い、多数の国有企業従業員が職を失うなど社会的な痛みも生じた。朱氏は国有企業改革と並行して、失業者の再就職支援や社会保障制度の整備を進めるよう求めた。
住宅分野では、勤務先が従業員に住宅を割り当てる従来の制度を改め、住宅の商品化と民間市場の形成を推進した。社会保障、医療・衛生、投融資、食糧流通など幅広い分野でも制度改革を主導し、中国の市場経済体制の基礎を築いた。
朱鎔基氏が中国のWTO加盟を実現
朱氏はアジア通貨危機への対応にも当たり、人民元の切り下げを回避しながら中国経済の安定維持を図った。強い指導力と率直な発言から「鉄面首相」「経済皇帝」とも呼ばれた。
中国の世界貿易機関(WTO)加盟交渉を指揮し、国内の反対意見を抑えて2001年12月の正式加盟を実現した。WTO加盟は中国の貿易と外資導入を拡大させ、その後の経済成長を支える転機となった。
朱氏は腐敗や行政の非効率にも厳しい姿勢を示した。公式訃告は「真実を語ることを敢えてし、人の反感を買うことを恐れなかった」「進んで重責を担い、困難な問題に取り組んだ」と評価した。
退任後は公の場に姿を見せる機会が減り、近年は公式活動への出席が途絶えていた。死去が伝えられると、中国の交流サイト(SNS)では「人民の良い首相」「一路走好」などと悼む投稿が相次いだ。
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(2026年8月13日)