
董郁玉氏は、22年2月、北京で日本の外交官と昼食中、警察に連行された。北京の裁判所は24年11月、スパイ活動を理由に実刑判決を言いた渡した。董氏の連行時、日本の外交官も数時間拘束され、日本の外務省が強く抗議した。
一夫氏は「父は長らく投獄は政治改革と民主政治を訴えていたために投獄された」、「報道の自由と人権に関わる問題で、スパイ罪とは何も関係がない」と指摘した。
光明日報は知識人向けのメディアとして、他の党機関紙よりも比較的自由な言論空間があるとされていた。
董氏は、憲政民主、政治改革、官僚の責任追及などのテーマについて多くの記事を執筆しており、これらの議論はかつて中国共産党内でも公に論じられていた。しかし、近年こうした話題は完全に禁止されている。
董氏はまた、2006~07年にハーバード大学でニーマン・フェローとして研究し、2010年には日本の慶應義塾大学の客員研究員を務めた。帰国前は北海道大学の客員教授としても活動していた。
董氏の逮捕は、定年退職の2カ月前。この事件は中国の報道界や外交界にも大きな衝撃を与えた。